「は」と「が」から見た日本人の諸法実相

(整期优先)网络出版时间:2018-04-14
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「は」と「が」から見た日本人の諸法実相

王燕韩礼巧

西安外国语大学日本经济文化学院陕西西安710128

要旨:本研究では「は」と「が」について、「は」と「が」の例を分析し、微妙な言語の異なる点から日本人の特有の言語行為、思考様式からの裏を分析したい。研究方法としては、先行研究をまとめて、「は」と「が」の例文を分析し、発話場面のニュアンスから「は」と「が」の異なる所を分析して、異文化の面から「は」と「が」の言語背後の裏を分析した。分析した結果は,日本人の子供たちは文法などについてはまったく無知でありながら、それでも正しく「ハ」と「ガ」とを識別しているのだ。このふたつの助詞のなかに、日本人のどんな特有の思考様式、独特の論理がかくされている。日本人の特有の言語行為、思考様式から「諸法実相」の日本的解釈をあげる。

キーワード:「は」「が」「表」「裏」

一、はじめに;

三上章「象は鼻が長い」、大野氏「日本語の文法を考える」(1978.3);大野氏「日本語の文法を考える」(1978.3);発話者の心的態度からみた助詞「は」と「が」の使い分け柏崎秀子;伊藤武彦日本語の「は」と「が」の動作主性;周国龍「は」と「が」の使い分けについてなど。以上のように「は」と「が」についての研究が数えきれないほどある。しかし、助詞「は」と「が」の使い分けについては古くから国語学や言語学の分野で諸説が出されているが、未だに統一的な見解に至っていない、日本語の文法において問題とされる。

1、先行研究

1,2助詞「が」について

「大辞林」第三版により、助詞「が」は以下の意味がある。

1.2.1格助詞としての「が」は以下の意味がある。

1)主格を表す。

例:象は鼻が長い。

2)希望、能力、好悪などの対象になるものを表す。

例:りんごが食べたい。

3)指示語に付いて、接続詞のように用いる。

例:それがね、また大変な人なんだ。

4)連体修飾語を表す、多く、所有、所属、同格などの関係を表す。「の」と同じ。

例:我が校の名誉

1.2.2接続助詞としての「が」は以下の意味がある。

接続助詞:格助詞の用法から転じてきたもので、院政時代から見られる

1)前置き、補足的説明などを後に、結びつける。

例:予算の件ですが、重要なのは今日中に決めてください。

2)二つの事柄を並べあげる場合、時間的前後、共存など、それらの時間的関係を表す。

例:驚いて外に飛び出したが、何事もなかった。

3)対比的な関係にある二つの事柄を結びつけ、既定の逆接条件を表す。

例:学校へ行ったが、授業はなかった。

4)どんな事柄でもかまわないの意を表す。

例:行こうが、行くまいが、君の勝手だ。

1.2.3終助詞としての「が」

「大辞林」第三版により、終助詞:格助詞より転じたもの。体言及び体言的なものや活用する語の終止形に接する。

1.3助詞「は」について

1.3.1係助詞としての「は」は以下の意味がある。

現在では「わ」と発音する。助詞「を」の下に付くとき、「をば」となることがある。係助詞としての「は」というのは、種々の語や文節、活用語の連用形などに接続する。多くの事柄の中から、一つのものを取り出して提示するのが本来の用法である。

1)、特に一つの物事を取り上げて提示する。

例:食事はもう済んだ。

2)、題目を提示して、叙述の範囲をきめる。

例:象は鼻が長い。

3)、二つ以上の判断を対照的に示す。

例:行きはよいよい、帰りはこわい。

4)、叙述を強める。

5)、譲歩の気持ちを表す。活用語の連用形に付くこともある。

例:雨も、降りは降ったが、ほんのわずかだ。

6)、動作、作用の行われる条件事態を表す。

例:不正はあってはならない。

7)、文末にあって、終助詞的に用いられる。体言や活用語の連体形に接続して、感動の意を表す。

例:歯固めの具にももてつかひためるは/枕草子

8)、話し手自身に対して、念を押すような気持ちでの詠嘆を表す。

例:すはよい(は)とてたそ/史記抄

1.3.2感嘆を表すの「は」は以下の意味がある。

1)、緊張して応答するときに発する語。はっ

例;は、かしこまりました。

2)、問い返すときにややかしこまって発する語。

例:は、何ですか。

3)、笑う声を表す語。ははは

例:席の人びと一同にはははと笑ひける。

4)、怪しみ、いぶかるときに発する語。はて、はは。

例:は、筋ともない事に聞きないで、腹をお立ちやる。

1.3.3格助詞としての「は」は上代東国方言

格助詞「へ」に同じ。

先行研究では、三上章「象は鼻が長い」、大野氏「日本語の文法を考える」(1978.3);大野氏「日本語の文法を考える」(1978.3);発話者の心的態度からみた助詞「は」と「が」の使い分け柏崎秀子;伊藤武彦日本語の「は」と「が」の動作主性;周国龍「は」と「が」の使い分けについてなど。以上のように「は」と「が」についての研究が数えきれないほどある。しかし、助詞「は」と「が」の使い分けについては古くから国語学や言語学の分野で諸説が出されているが、未だに統一的な見解に至っていない、日本語の文法において問題とされる。従って、本稿は「は」と「が」のニュアンスから言語背後の思惟を検討したい。

二、本論

2、「は」と「が」の主な使い分けについて

一見「は」と「が」どちらが使用されても文法的だが、実際その使い分けにより、場面や話し手の意図などが大きく異なった表現になった場合がある。外国人日本語学習者はそれを正確に理解し、使用しなければならない。以下の例は野田尚史「新日本語文法選書1「は」と「が」くろしお出版社に出現した例である。

1)私は大野です。

<「私」既に相手に見えており、「私」は既知の存在だから>

2)私が大野です。

<大野という人物はあらかじめ知られているのが、その人物が具大的にどの人だかわからない、つまり未知であるから。>

まとめてみると:未知と既知(大野氏「日本語の文法を考える」)あるいは新情報と旧情報(松下大三郎1930)、「は」は既知あるいは旧情報を表している。「が」は未知あるいは新情報を表している。

3)子供が目を覚ますと歌を歌う。

(歌う人は子供以外の人で例えばお母さんだろう。)

4)子供は目を覚ますと歌を歌う。

(子供自身が目を覚ましそして歌を歌うことになる。)

まとめてみると:文と節の原理(山田~1936第20章)「は」:文末までかかる。「が」:節の中だけにしかかからない。

5)花子さんは目が美しいですね。

(花子さんの目が美しく感じることを素直に表現している。

6)花子さんは目は美しいですね。

(花子さんの目が美しく感じることを素直に表現しているが、その多くは暗に何か対照になるもの、しかもあからさまに言うことのできないマイナス的なものと対照する言外の意味が含まれることになる。)

まとめてみると:対立と排他の原理(三上章1953)「は」:対立的な意味;「が」:排他的な意味

7)私があなたを支えます。

(積極的に看病する気持ちを夫に伝えて安心させるという意図が夫に大きく勇気を与えることになるであろう。)

8)私はあなたを支えます。

(積極的に一方的に支えるという強い意志は見られなくなり、夫への勇気付けの効果は薄くなるであろう。)

まとめてみると:積極性と非積極性;「が」:積極性、「は」:積極性がそれほど強くない。

3、「は」と「が」の使い分けにくい部分について

以下の例を見ながら分析する。

1>子供たちはカレーを作っています。

「は」:文の主題を表す助詞

2>子供がカレーを作っています。

「が」;動作を行う主体であることを表す格助詞.格を表す.

以上の二つの例の共通点とは、「子供たちは」も「子供たちが」も「作る」にたいして主格になっている点では、共通していることである。対立点とは、「子供たちは」はこの文の主題になっているのにたいして、「子供たちが」は主格になっている点では、対立していることである。

3)カレーは作り方が簡単だ。

「は」は、格部分などの一部だけが主題になっていることを表す。

4)カレーの作り方が簡単(なのと)。

「が」はもともとの格成分が文の主題になっているものが多いことを表す。

上の四つの文章は、どれも大体同じこととを言っているが、、納得いくように説明できない。ただ、日本語の「ハ」と「ガ」という助詞が、微妙に文章を変えていることだけが何となく感じられるだけである。(日本語の表と裏森本哲郎)

さらに精密に分析し、整理してみせてくれたのである。私(大野晋氏)は、なるほど、と思いつつ読んだのだが、それでもまだ何か割り切れないものが残されているような気がした。いくら考えても、そのちがいがはっきりとわからない。ただこの場合は「ガ」のほうがよさそうだと何となく感じるだけなのである。

4、「が」の裏について

「は」と「が」の役割について国語学者のあいだにさまざまな論争がかわされてきた。外国人日本語学習者にとって、いくら説明してくれても、日本人のように自然に、適当に使うことが難しいことである。

以上のようにしてみると、日本人特有の現実認識と考えてもいいように思う。ということは、日本人がつねに現実をそのまま、素直に受け入れるということだ。

日本人の心の底には、「現像世界のうちに絶対者を認めようとする思惟方法」が動いていおるという。(三上章「象は鼻が長い」くろしお出版)

つまり、日本人の特有の言語行為、思考様式から「諸法実相」の日本的解釈をあげる。諸法実相ということは仏語、あらゆる物事;現象がそのまま真実の姿であるということである。(増谷文雄「日本人の仏教」角川書店)

三、結論:

このレポートは「は」と「が」についての研究書籍や論文などを基礎に、「は」と「が」の異なる場面を基に、「は」と「が」の語源から分析して、言語の表から言語話者の裏へ導いたのである。「諸法実相」という日本人の特有の思惟方法があっての特有の言語現象であると思われている。

四、参考文献

1.森本哲郎「日本語の表と裏」新潮社版;

2.三上章「象は鼻が長い」くろしお出版;

3.大野氏「日本語の文法を考える」(1978.3);

4.野田尚史「新日本語文法選書1「は」と「が」くろしお出版社;

5増谷文雄「日本人の仏教」角川書店;

6.発話者の心的態度からみた助詞「は」と「が」の使い分け柏崎秀子;

7.「は」と「が」の使い分けについて周国龍;

8.日本語の「は」と「が」の動作主性伊藤武彦;

9.柏崎秀子発話者の心的態度から見た助詞「は」と「が」の使い分けJapaneseJournal

ofEducationalPsychology,1987,35,57–64;

10.闫志章日语的“表”与“裏湖南科技学院外语系,湖南永州425100);

11.王玲日语格助词“は”、“が”用法的再探讨Vol.30No.12011.2;

12.伊藤武彦日本語の「は」と「が」の動作主性―日本人、二言語併用者、アメリカ人、日本語教師(東北大学教育学部)Japaneseassociationofeducationalpsychology;

作者简介:王燕,1993年7月11日出生,女,汉族,现就读于西安外国语大学日本经济文化学院2016级日语语言文学专业,主要研究方向:翻译学。